小学校2年生で城南から移っていった室津半島の佐賀という漁村での話です。 山口県東部の南はし。室津半島の南側は、そのころ、えんえんと続く白い砂浜で有名でした。毎日「おおぶね」と呼ぶ、イワシとりの漁船が出漁して、浜には、ゆでたイワシが所狭しと干されていました。煮干というやつです。部落中が毎日鰯の煮汁のにおいで、鼻が曲がるようでした。「とり貝漁」も盛んで、実を取り除いたとり貝の貝殻は、浜にびっしりと捨てられて、桃色に輝く貝殻の内側が、浜辺を、桜の咲いたように染めていました。 砂浜には、甲羅が柔らかくて、片方のつめばかり大きなスナガニが穴を掘っていて、ぼくらはよくそのカニの穴を掘りました。穴に指先を当てて確認しながら、50センチも掘り進むと、やがて足をそろえてじっとうずくまるスナガニに行き着くのでした。 女郎蜘蛛の喧嘩で子供達は沸き立ちました。木の枝に2疋のジョロウグモを置いて、強いクモが弱い方をクモの糸で、からめ取ってしまうのです。そんなことからスナガニにも、砂の上に闘技場を作ってけんかさせて見ましたが、こいつらはすぐに砂に穴を掘って自分たちが逃げることに躍起になるので、けんかになりませんでした。 放課後というと舟で沖合いに出るか、砂浜で相撲を取るかそんなところでした。ある日4‐5人で集まって砂に土俵を画いて遊んでいました。石垣に寄り添って二人の取り組みを見ていると、片方の子が土俵を割ったのです。瞬間でした。取り組みはなおも続いています。 厳正な審判員原田大二郎がその土俵割りを見逃すはずがありません。 「おう、今、土俵、足が出たぞ。足がでちょったぞ」叫びながら石垣を離れたその瞬間です。石垣が音を立てて崩れ落ちました。今まで僕が立っていたその場所が、崩れた石で埋まりました。全員声を失って呆然と立ち尽くし顔を見合わせました。僕が石垣を離れるその直前、石垣の上を一人の男の子が走ったのが石垣崩壊の直接の原因らしく思われました。 「うぉぅ!助かったでよぅ!こんとな石の下敷きになっちょったら、たまらんじゃったいの!」と、ぼく。「だいちゃん、わりゃぁ、ほんまに運がええでよ」「運がええ、運がええ。ほいじゃが、わしらぁも運がええで。へたぁしたら、わしも新聞に名前を出されるところじゃったい」と、石垣の上を走った男の子。 こうして、石垣落下事件は、実害としては何もなく終わったのでした。めでたし、めでたし。 2002年6月1日(土)14:09 大二郎 |
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