母方の実家のある山口県光市は戦後の町村合併でできた町。

 もとはこの地方に海軍工廠(人間魚雷回天)があって、その工廠を「光海軍工廠」
と、呼んでいたもの。

 原田家は、海軍工廠設立で、部落中がその田畑家屋敷すべて接収されて戎町の地に移り住んでいた。

 亀二郎(上の兄は早世したんだ)が家を継ぎ、百姓をやっていた。その次男竹二郎(この人がわが祖父だ)は、青山(セイザン)の志で東京にあがり美術学校(今の東京芸術大学)の1期生となった。

 祖父が残した履歴書を見ると、そのころの履歴というものは、かなりハチャ
メチャである。漢文、英語、数学などを、あちこちの寺子屋で修業している。
尋常小学校卒業が18才の時。その後、大坂の商業学校に入り24才の時美術学校
(芸大)1期生として入学している。

 美術学校を卒業して土浦の中学校教師をやっていたが、祖母のツテ(祖母の親元は海軍中将らしい)があったのだろう。海軍に奉職し江田島の海軍兵学校で美術史や海図製作を教えたりしていたようだ。祖父が残した履歴書は、そのとき使ったもののようだ。

 祖父の志半ばに長男が死んだのだろう。祖父は相続放棄して三男の定平サンが原田を継いだ。定平サンの長女がイツキさんと結婚してわが養母。いくサン。

 兵学校時代の祖父の記録は、戦後すぐ焼却して兵学校には現在残っていない。
のち東京に出た祖父は、若く死んだ祖母(享年37)の跡を追うようにして、翌年逝く(享年52)。おしどり夫婦だったんだ。祖父は中学生をアタマとする幼い4児に心を残して死んでいった。

 長子(イツキさん)は中学卒業後、山口県の本家の後見を受けて山口師範の2部(山口大学教育学部)へ進学。本家の娘(いとこ同士)と結婚。若くして小学校長となって、俺を養子にとった。

 次男(マサキさん)は東京にのこってIBMの金銭登録機に就職していた。やがて大東亜戦争に突入。アメリカ資本はやばいとサッサとやめてしまった。これが俺の実の親父。

 下の弟(祝平サン)は軍人になったが、体が弱くて陸軍病院で死んだ。

 末は女(よし子さん)。この人は結婚したらしいが詳しくは分からない。嫁ぎ先で「立ってるものは、親でも使え」と、口を滑らして離縁されたらしい。舌禍事件の家系なんだ。